八ツ橋

八ツ橋の歴史
八ツ橋の名前の由来はいくつかありますが、有力な説は二つあります。一つは伊勢物語に登場する三河の国の八橋という橋を真似て作ったからという説と、江戸時代初期に活躍した筝曲の作曲家、八橋検校という人が作った堅焼きせんべいからだという説です。この人物がとある茶店の店主にせんべいの作り方を伝授し、八橋検校なきあとに、教わったせんべいをもとに琴に似せた菓子を作り、それが八ツ橋になったといわれているのです。最初はこの堅焼きせんべいだけでしたが、聖護院八ツ橋が表千家の茶会で出した生八ツ橋が好評で商品として売り出されたということです。

井筒八ツ橋本舗
井筒八ツ橋本舗の創業は1805年の文化2年、米や味噌、しょうゆ、菓子などを扱う店として生まれました。昭和22年に5代目によりつぶあん入りの生八ツ橋「夕霧」を作り、昭和32年にがこの生八ツ橋「夕霧」で名誉大賞牌を受賞しました。今ある有名な「夕子」は昭和49年に発表されたものです。京極の一番街の中には観光客が堅焼き八ツ橋を作る体験ができるコーナーを開設するなどして井筒八ツ橋での堅焼き技術者の育成と継承に役立てています。